2017年02月13日
信康廟「清龍寺」

徳川信康と言えば、
織田信長から武田方に内通していると嫌疑を掛けられて
21歳という若さで切腹させられてしまった家康の嫡男です。
その遺骸を葬った先が天竜市にある≪清龍寺≫です。



徳川家康がこの寺に来臨して、清水の湧き出る様を見て
寺名を清龍寺と名付け、信康に清龍寺殿とおくり名をしました。
境内の鐘楼前に面白い案内板を見つけました。

本田宗一郎ゆかりの地(案内板より)。
徳川信康の菩提寺「清龍寺」。この信康ゆかりの寺で、
二俣尋常高等小学校時代の宗一郎少年は、正午を知らせる
鐘を30分前に突き、まんまと弁当を早く食べたと言われている。
~本田宗一郎氏の数あるエピソードの中のひとつです~
さてこちらが≪信康廟≫です。最大ズームで撮影しました。


門は固く閉ざされて、残念ながら中に入ることが出来ませんでした。

普段は閉められている龍潭寺の「宗良親王の墓」の門が、
直虎ブームによって開けられたように、この門が開くことを期待します。
高台にある清龍寺からは、天竜市内が見渡すことが出来ました。


こちらの祠の中には、木彫りの信康像が彫られていました。

すぐそばにあったのが、本田宗一郎「ものづくり伝承館」。

何度かこの記念館には来ていたのですが、
信康の菩提寺である「清龍寺」があることを初めて知りました。
「直虎ゆかりの地」めぐりのおかげです。
まさしく浜松再発見!!

本田宗一郎ゆかりの地(案内板より)。
徳川信康の菩提寺「清龍寺」。この信康ゆかりの寺で、
二俣尋常高等小学校時代の宗一郎少年は、正午を知らせる
鐘を30分前に突き、まんまと弁当を早く食べたと言われている。
~本田宗一郎氏の数あるエピソードの中のひとつです~
さてこちらが≪信康廟≫です。最大ズームで撮影しました。


門は固く閉ざされて、残念ながら中に入ることが出来ませんでした。

普段は閉められている龍潭寺の「宗良親王の墓」の門が、
直虎ブームによって開けられたように、この門が開くことを期待します。
高台にある清龍寺からは、天竜市内が見渡すことが出来ました。


こちらの祠の中には、木彫りの信康像が彫られていました。

すぐそばにあったのが、本田宗一郎「ものづくり伝承館」。

何度かこの記念館には来ていたのですが、
信康の菩提寺である「清龍寺」があることを初めて知りました。
「直虎ゆかりの地」めぐりのおかげです。
まさしく浜松再発見!!
Posted by カール at 20:00│Comments(0)
│★直虎ゆかりの地