2019年09月18日

延暦寺《横川(よかわ)》

延暦寺《横川(よかわ)》
 石垣の上に建っている朱塗りが鮮やかな舞台造りの建造物!!

 参道を下って行き最初に目に付くのが『横川中堂』。横川地区の中心地です。
延暦寺《横川(よかわ)》

 横川は最澄上人の教えに従って、慈覚大師円仁が開いたと言われます。
延暦寺《横川(よかわ)》
 円仁が嘉祥元年(848年)に、
 根本観音堂として創建したとされるのが、こちらの『横川中堂』なのです。





 参道の脇の細い坂道を登った木立の中にある朱塗りの二重の塔。
延暦寺《横川(よかわ)》
 『根本如法塔』では、円仁が法華経を書写し安置したとされていて、
 それ以降は、『根本如法堂』が横川における信仰の中心になったようである。


 『横川中堂』の前の参道を東の方向に進むと『元三大師堂』に着きます。
延暦寺《横川(よかわ)》
延暦寺《横川(よかわ)》
 天台宗中興の祖とされている元三大師の本来の名前は良源といいます。
 亡くなった日が1月3日=元三なので元三大師の名前が生まれたそうです。

 ここはおみくじ発祥の寺とも言われています。
延暦寺《横川(よかわ)》

 『角大師』は元三大師が鬼の姿になって疫病神を追い払った時の姿です。
延暦寺《横川(よかわ)》
 角が生え、目がグリッと丸く、口が耳まで裂け、あばら骨が浮いて見えます。
 この姿を描いたお札は、門口に貼る魔除のお札として鬼守りとも呼ばれます。

   かつて都に疫病が流行った時、
   良源上人は人々を救おうとして座禅に入りました。
   すると、みるみるうちに姿が変わり、鬼の姿に変わっていったのです。
   見ていた弟子たちのうちにただ一人、その姿を写し取ることができ、
   良源上人はその絵を版木でお札を刷って、人々に配布しました。

   それからこの絵があるところには病魔が恐れてよりつかず、
   一切の厄難から逃れることができたのです。


 比叡山延暦寺は、京都と滋賀の県境にあり、
 東には「天台薬師の池」と詠われた日本一の琵琶湖を眼下に望み、
 西には古都京都の町並を一望できる景勝の地でもあります。

 平成6年には、世界文化遺産に登録されています。

 奈良時代末期、19歳の最澄が比叡山に登り草庵を結んだのが始まりです。
 最澄が中国に留学して天台宗を開立してからは、弘法大師の開いた
 高野山金剛峰寺とともに、日本の宗教界最高の地位に君臨しています。

 このような美しい自然環境の中で、
 歴史と伝統を育んでいる素晴らしいところでした。








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川口春奈さんと同じ五島列島出身です。現在は浜松市に移り住んで毎日静岡への新幹線通勤です。週末にはラーメンはしごをやるほどラーメン大好き。御朱印めぐりやお城・山城も大好きでカメラを持って西へ東へ走り回っています。
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