2013年10月19日

大樹寺「ビスタライン」

大樹寺「ビスタライン」
 大樹寺は、松平家、徳川将軍家の菩提寺です。
 松平四代親忠が古戦場の首塚近くに念仏堂を設けたのが始まりです。
 その後、文明七年(1475年)に寺を建て≪大樹寺≫と名づけました。

 桶狭間の戦いで、命からがら大樹寺へ逃げ帰った家康は、
 先祖の墓の前で自害を図ろうとしましたが思いとどめさせたたのが、
 この寺の住職「登誉上人」であったことは、良く知られている話です。
大樹寺「ビスタライン」
 このように、
 大樹寺は歴史的にたいへん大きな役割を果たしています。
 そして現在では、≪大樹寺≫と≪岡崎城≫を結ぶ約3kmの直線を。
 



 「眺望・展望」を意味する「ビスタ」から、「ビスタライン」と呼ばれています。
大樹寺「ビスタライン」
 三代将軍家光が、
 「祖父の家康公生誕の地を望めるように」との想いから、
 本堂から三門、総門(現在は大樹寺小学校南門)を通して、岡崎城が
 望めるように伽藍を配置したことに由来しています。

大樹寺「ビスタライン」
 大樹寺から門越しに望む岡崎城は、まるで額の中の絵のようです。


 多宝塔二重塔です。国の重要文化財に指定されています。
大樹寺「ビスタライン」
 松平七代の清康により天文4年(1535年)に建立されました。


 この奥に松平家八代の墓石に並んで、家康の墓石が並んでいます。
大樹寺「ビスタライン」


 徳川家康が残した遺言です。
 「予の遺体は久能山へ埋蔵せよ」 「位牌は三河の大樹寺へ安置せよ」。
大樹寺「ビスタライン」
 家康の位牌が収められた墓石です。


 徳川の家紋が入った大樹寺の瓦屋根です。
大樹寺「ビスタライン」
 当日は3連休ということもあって賑わっていました。
 口々に「岡崎城はどこだ。どこだ」と周りをキョロキョロ・・・。
 「あの門の向こう側ですよ~」と教えてあげようとも思いましたが、
 発見した時の喜びのために口をつぐんでいました。

 400年前の遠い昔も
 同じ場所から岡崎城を臨んでいたと思うと不思議な気分になります。
 
 家康ゆかりの旅はもう少し続きます・・・。









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プロフィール
カール
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川口春奈さんと同じ五島列島出身です。現在は浜松市に移り住んで毎日静岡への新幹線通勤です。週末にはラーメンはしごをやるほどラーメン大好き。御朱印めぐりやお城・山城も大好きでカメラを持って西へ東へ走り回っています。
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