2013年05月20日
ビルマの碑

日曜日の朝、SBSラジオギャラリーで放送された
『鈴木大佐とアウン・サン将軍の伝説』に聴き入ってしまいました。
その中で、大草山山頂付近に「ビルマの碑」というのが奉られていると
いうことを聴いたので、ドライブ中だったこともあり行ってみました。
目指すは舘山寺・・・。
ロープウエイ駅舎近くにあった「ビルマゆかりの碑」。

久しぶりだったので、大草山を頂上から海岸まで散策しました。









さて、その放送内容です。
アウン・サン将軍が、昭和15年に亡命した時に浜松出身の鈴木陸軍少将と
独立運動の秘策を練るために滞在したのが、舘山寺や弁天島の旅館でした。
その後、ミャンマーの独立運動に大きく関わって独立義勇軍の誕生に貢献した
鈴木大佐は、その功績からミャンマーの教科書にも大きく扱われています。
そんな、父の足跡をたどり、アウン・サン・スー・チー女史は1961年と1986年
に浜松を訪れています。先月、訪日した際には時間の関係で、浜松には来れ
ませんでしたが、鈴木大佐の関係者に伝言を寄せているようです。
今日、日本とミャンマー(旧ビルマ)との友好関係の
基礎を築いたのが、浜松人だったということは驚きでした。
その反面、知らなかった事に恥ずかしい気持ちにもなりました。
大草山を訪ねる時には、再び「ビルマの碑」を訪ねようと思います。

久しぶりだったので、大草山を頂上から海岸まで散策しました。









さて、その放送内容です。
アウン・サン将軍が、昭和15年に亡命した時に浜松出身の鈴木陸軍少将と
独立運動の秘策を練るために滞在したのが、舘山寺や弁天島の旅館でした。
その後、ミャンマーの独立運動に大きく関わって独立義勇軍の誕生に貢献した
鈴木大佐は、その功績からミャンマーの教科書にも大きく扱われています。
そんな、父の足跡をたどり、アウン・サン・スー・チー女史は1961年と1986年
に浜松を訪れています。先月、訪日した際には時間の関係で、浜松には来れ
ませんでしたが、鈴木大佐の関係者に伝言を寄せているようです。
今日、日本とミャンマー(旧ビルマ)との友好関係の
基礎を築いたのが、浜松人だったということは驚きでした。
その反面、知らなかった事に恥ずかしい気持ちにもなりました。
大草山を訪ねる時には、再び「ビルマの碑」を訪ねようと思います。
Posted by カール at 20:00│Comments(0)
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