関ケ原古戦場

カール

2017年10月23日 20:00


 石田三成軍の陣屋跡『笹尾山』から見た関ケ原の全景です。


 今年は、大河ドラマ「直虎」の影響でゆかりの地へ出掛けます。
 その集大成とも言える、岐阜県不破郡関ケ原町≪関ケ原古戦場≫。

 国宝≪彦根城≫を見に行った帰りに寄りました。

 西軍「石田三成軍」と東軍「徳川家康軍」が、
 東西合わせて20万近い兵力が激突した戦国最大の戦です。

 昔から一度は訪れたい場所でした・・・。



 石田三成軍が構えた笹尾山は全体を見渡せる小高い場所にありました。

 陣地跡がある高台へは整備された階段を上っていきます。

 石田三成軍の陣地跡には、展望台と布陣図などがありました。

 上は現地にあった布陣図。判りにくいのでネットで探しました。下図参照。


 東軍をぐるり包囲して圧倒的に西軍有利な≪鶴翼の陣≫。
 ドイツの軍事家メッケルは一目見て「西軍勝ち」と判断したと言われます。

 三成の拠る「笹尾山」展望台から見るとそれが良く判ります。


 宇喜多秀家の拠る「天満山」、小早川秀秋の拠る「松尾山」。
 毛利秀元が布陣する「南宮山」ラインも含めて東軍を囲んでいます。



 結局、小早川秀秋を始め西軍の数多くの裏切りで、
 「天下分け目」の決戦は、たった1日間で徳川家康の勝利となりました!

 しかしながら東軍で参加した、
 我らが「井伊直政」は島津軍との戦いで負傷してしまいました。
 その傷が元で2年後・・・・。42歳の生涯に終わりを告げたのでした。
 とても感慨深い≪関ケ原古戦場≫でした。






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