妙雲寺と東光院
ひっそりたたずむ直虎の菩提寺。
もともと直虎の父親である井伊家22代当主である家盛が、
桶狭間合戦で戦死した際に直虎が剃髪して建立して自耕庵としました。
直虎の死後、自耕庵へ葬られたと伝わりますが、
自耕庵は、直虎の院号「妙雲院殿月泉祐圓禅定尼」をもって
後に≪妙雲寺≫と改められて、いまに至ります。
直満の子である亀之丞がかくまわれた≪東光院≫。
井伊谷からは15kmほど北に行った渋川地区にあります。
後に直親として井伊家23代当主になる亀之丞、幼少時代の事です。
東光院の前には、今ものどかな風景が広がっていました。
井伊直満の子であるというだけで、
今川義元から9歳の命を差し出すように命じられた井伊家。
家臣・今村藤七郎により、わらの袋に隠されて運ばれたと言われます。
いつお家断絶になっても不思議ではなかった井伊家。
それを徳川四天王まで陰ながら盛り上げていった直虎の手腕。
浜松再発見!!
知る喜びがますます膨らみます。
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