歴史の里≪田峯城跡≫
1470年に菅沼定信が築城した≪田峯(だみね)城≫。
中世城郭を参考に物見台、本丸、大手門などを「田峯歴史の里」に再建。
標高387mの場所にある≪田峯城址≫をたっぷり楽しみました。
「田峯歴史の里」資料館として利用されていたのは、復元された本丸御殿。
駐車場から入場する際には、搦手門(裏門)から入る形になっていました。
綺麗に門が復元されていた本丸大手門。
復元された物見台からは、素晴らしい眺望を臨むことが出来ました。
有料(220円)の資料館は綺麗に整備されていました。
搦手門(裏門)に辿り着くまでに数多くの曲輪跡を見ることも出来ました。
築城した菅沼定信氏は清和源氏で三河国額田郡菅沼郷発祥。
定成の時に田峯に移り住み、その後奥三河の地に勢力を広げました。
1575年の長篠合戦で五代目定忠は武田方として参陣するも大敗。
勝頼と共に田峯城へ戻ったものの留守居の叔父定直等の謀反に遭遇。
武節城へ引上げた。その後奥平氏により武節城をも追われ信濃国伊那郡
へ落ちていたが、1576年に定忠は田峯城を急襲してこれを落とした。
そして、謀反の一族96人を惨殺したと言われます。
史料などが乏しい中、
総工費2億3千万円を掛けた素晴らしい資料館でした。
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