千頭峯城跡
千頭峯城跡という山城に行ってみました。
訪れる人が誰も居ないひっそりとした場所で冒険心を擽られました。
摩訶耶寺から北東にある千頭峯トンネル付近の駐車場を目指します。
車を降りて舗装道路から雑草、雑木林と山深く入って行きます。
しばらく行くと案内看板が出現ました。井戸曲輪方面を目指します。
東斜面を下りていったところに井戸曲輪がありました。
さて、いよいよ本曲輪を目指して急な階段を登って行きます。
インディジョーンズのBGMが聞こえてきそうな雰囲気です。
なかなか味わいのある山道です。本曲輪まではもう少し・・・。
ようやく本曲輪へ到着!!整地されていて結構な広さがありました。
千頭峯城戦没者慰霊碑や三角点(137.4m)などがありました。
眼下を見下ろせる場所には休憩用の椅子まで備え付けられていました。
本曲輪からは風光明媚な景観が楽しめます。東名高速道路が見えます。
帰り道は、千頭峯城南を一直線に下降。するとみかん畑に出ました。
この山城を説明した案内看板です。
千頭峯城(せんとうがみね)について
この城山は、大福寺の古記録瑠璃山年録残篇に記されている
千頭峯城で、この城は南北朝の昔宗良親王を奉じて奮戦した井
伊氏の西方における南北朝最大の拠点、千頭峯本城跡である。
守将は井伊氏一族の奥山朝藤(おくやまともよし)といわれ南朝
方の廷臣や浜名神戸庄庄官県氏、大江氏を始め勤皇の将士数
百騎で籠城した。北朝方の武将、高師兼(こうのもろさお)は大軍
を率いて3ヶ月間の攻撃を加え暦応2年(1339年)10月30日
落城した。本城は昭和15年に専門家の合同調査により鶴翼型
(かくよくがら)の典型的な山城で、規模も大きく、当時の塁段砦
(るいだんさい)井戸などはっきりと残っており、山城跡としては、
全国的にも代表的なものだと言われている。
浜松市教育委員会,千頭峯城史蹟保存会
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