吉良家菩提寺≪華蔵寺≫

カール

2022年05月14日 20:00




 忠臣蔵、元禄赤穂事件で著名な「吉良上野介義央」。
 その吉良家の菩提寺とされるのが臨済宗≪華蔵寺(けぞうじ)≫です。

 参道入口には「吉良上野介義央」の像がありました。

 日本人が大好きな「忠臣蔵」。
 浅野内匠頭のかたき討ちを行った赤穂浪士を讃え、
 暗殺された「吉良上野介」氏は、極悪人と思われ続けています。






 ところが西尾市吉良町では、

 大正時代の俳人「村上鬼城」氏が≪華蔵寺≫で残した一句です。

 そんな思いを抱きながら吉良家菩提寺の≪華蔵寺≫を参拝しました。 




 「吉良上野介義央」氏を始め、吉良家の方々が祀られていました。




 赤穂浪士が主君の仇討ちを行った忠臣蔵は有名な話です。
 主君の恨みを買った吉良氏は、大悪人の敵役として描かれています。

 ところが地元では悪人どころか治水事業や塩田開発で功績を残し、
 赤馬に乗って、領民の話に耳を傾ける名君として慕われていました。

 一方、
 被害者とされている浅野氏はかんしゃく持ちだった上、
 財政難の藩を立て直すため、重税を課していたと言われます。
 だから浅野氏の切腹が伝わると領民は赤飯を炊いたという話もあります。


 そもそも、松の廊下で起こった刃傷事件の原因は、
 儀礼に対する認識不足からくる浅野氏の不手際だったと言われてます。

 その他にも、
 吉良氏が塩田開発の技法を浅野氏に教えたところ、
 浅野氏が吉良氏の管轄にまで手を伸ばしたため吉良氏が弾劾した
 事を逆恨みした等、浅野氏には都合の悪い話が多く出てくるようです。

 結局、吉良氏と浅野氏の間にどのようなトラブルがあったのか、
 その内容は今なおはっきりしていませんが忠臣蔵で描かれている程、
 吉良上野介氏は「悪役」ではなかったということです。

 本当は地元の人々に慕われてる。とても良い代官だったようです。

 物事を一つの噂で鵜呑みにしてはいけない!!
 多角的な角度で物事を見つめることが大切だと教えてくれた実例です。








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