伊賀八幡宮
松平家の氏神として四代親忠が伊賀から迎えた八幡宮。
九代目にあたる徳川家康も合戦の戦勝祈願に参詣したと伝えられます。
最初の社殿は焼失しており
現在ある伊賀八幡宮の社殿は、三代将軍家光が造営したものだそうです。
岡崎城に続き、
家康ゆかりの地をもとめての散策です・・。
本殿、拝殿、弊殿、御供所、随身門、神橋、鳥居は全て重要文化財です。
社殿は権現造り。ほぼ見るものすべてが重要文化財の貴重な場所です。
徳川の家紋が入った馬の像です。
伊賀八幡宮には、様々な逸話が残っています。
松平広忠公は、
織田信秀が岡崎城を攻め取ろうとした時に、馬に乗った武者が現れ
敵陣めがけて白羽の矢を放った。すると八幡宮の森から白羽の神矢が、
雨あられのように敵陣へ・・・。たちまち三万あまりの敵兵は敗退しました。
広忠公は、みずからその神矢を拾って八幡宮に奉納したとのことです。
徳川家康公も
出陣には八幡宮への祈願が慣わしでした。関ヶ原の戦いや大阪の陣では
神殿が鳴動し鳥居が移動する等、不思議な事が起こったといわれています。
また、桶狭間の戦いでは、
軍を引かそうとした時に矢作川に八幡宮の神の使いの鹿が現れて、
家康公は、無事「大樹寺」に入ることが出来たということです・・・。
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